祖父の回顧録
⚠️長文注意⚠️
ウチの親父と同世代のゴルフ仲間の方と事務所で昔話を色々聞いた。
そして、今の60歳以上の方たちは、青春時代を混沌とした時代の中でたくましく生き残ってきたということを染み染み感じた。
サバイバルという言葉がぴったし当てはまる。
話は変わって、ウチの爺さん、もう亡くなっているが、生前に自分の人生を一冊の本にまとめた。
読んでると、まあ、その波乱万丈ぶりには、驚かされる。
よう死なんかったわ。
私は、この本を袂に置き、カンフル剤としている。
そして、わが宮川家を誇りに思う。
そんな爺さんのエピソードをちょっとずつ紹介します。
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雪の遭雛 · 死線を越えて(昭和10年代の頃の話)
青年時代二十五才頃、雪に依る失敗の思い出を書いて見たい。
私の村(旧坂内村)より揖斐町(揖斐川町)に行くのに二本の道路が有り、一本は現在の国道沿いであり、ー本は山道の日坂峠越しの道であり、両者は弓と弦と違いがあり、車の無い歩行時代は八km程近くなる峠越しに決まって居た。
それでも三十km歩くには片道八時間を要し、一日掛かりであった。
私は商用を終り、揖斐町より帰路に着いたのは朝の八時頃です。頃は十一月半頃と思う。
雪の事など夢にも考えられません。峠の下部の日坂の在に着く頃より空模様怪しくなって来たが、雪の事など思いもせず、峠の入口に差し掛かると既にニ十糎ほど積もって居た。
これは大変だ、急いで帰らねばと足を早めた。
が、大雪降りとなって来た。時季は早いが雪はー時間に六十糎位積もる事が暫暫あった。雪で育った足では有るが、油断はならぬ。
峠の中間では既に六十糎に積もり居り、今更ら引き返す事もならず、行けば行く程深くなり、ー刻も早くと焦せれ共、如何ともなすことを得ず、運を天に任せ決死の思いでノロノロ進行を余技なくされたので有ったが、
遂に雪諸共谷底に転落したのである。
サー大変である。容易に脱出は出来そうになく、慎重に考えねばならん。到底自宅に帰れると思もわれない。
先ず目標を峠の頂上とし、峠の近くに炭焼小屋が有る。そこでー泊する外はないと決めて全力を尽くして雪を路み固めつつ足場を作りつつー歩半歩と昇りつつ、元の道迄辿りつく。
道と云っても道は無く、何処も同じ雪山である。
それからどれだけ時間を費やしたか分からない。兎に角命からがら、峠の小屋に
着いて落ち着くと大変な事に気付いたのである。
この寒気に暖房する燐寸がない。
空腹の上、剰え着衣が濡れて居り、此の侭では凍死は免れない状態である。正に身体極まれりである。どうせ死ぬと分かっても身体を動かさないと寒気が肌を刺し、絶えられない。
死を決して再び雪中に飛び出し、峠を下がる上がるに比ぶれは楽であったが、残る二kmが最も危険である事を知って居る。
道は平坦であるが何故恐いと云えば、雪道は村を間近に控えた処で死ぬる率が日取も多いのである。ヤレヤレと息う安堵の気の弛みと空腹と疲労とで参って仕舞う訳である。私の場合も同様の立場にある。
死亡率は極めて高い処に直面して居るのである。
私の知人の****が十一月十一日に滋賀越えの峠を越えて新穂の村近くで死んだのを日撃した事があるので油断は許されない。
それを心に云い含めつつ、ー歩一歩よろよろと前進して、遂に村の灯りが見えた時何共云えない混迷の状態に落ち入り、生きて居るやら死んで居るやら分からない、全く夢見心地で自宅に着いて居たが、其の後の事は何ーつ記憶に残って居ないのも不思議に思われる。
#我が家の歴史 #揖斐川庭石センター
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